先生が作ってきてくれたというチャーイは、煮出したスパイスの味が優しく、とても美味しかった。プラクティスの後、みんなでしゃがんで囲む温かいチャーイ。葉山から重いポットを持ってきてくれたのかと思うと、それだけでありがたく。
今日もたくさんの、かけがえのないものをいただいた。その一つに、手放すことがあった。
美しさとは不在のこと、最近考えていたそんな事と重なった。美しさとは、見つけるもので作るものではない。どうやって見つけるのだろう、それは自分というエゴをすてて、全ての人の心に既にある「いのち(真の創造性)という力、もしかしたらそれは神さまというのかもしれないけれど、その力が自由に働くスペースを自らに与えることで可能になるのではないだろうか。写真でも、文章でも、何かよいものが産まれる瞬間には、私は完全に自分を手放している気がする。
アサナのプラクティスの際に、格好良くやろうとか、呼吸に自分をコントロールされたりした時に、そこに美しさはない。だから手放す。ヨーガとは手放すことの訓練だと、その先生は今日も教えてくれた。その先生のアサナはとても美しく、心から響いてくるような穏やかな声が今日もまだ耳に残っています。
*写真はラジャスターンで飲んだチャーイ