As It Lives In A Nature

 

思わず手に取ってしまう器や花器は、植物の横に自然に存在していられる色をしている。それとは、外から塗ったような色でなく内側から滲みでてくるような色。魅力的な人、とまるで似ている。

お料理をのせるとそこに小宇宙が完成し、花を生けると、器から「あ、花が咲いた、若葉が出てきた」と思えるもの。そんなものが美しい。

物を持たないことが持て囃される今。必要以上には物を持たないでいいと思うけれど、私はやはり物が好きだと感じる。骨董市のような場所も大好きだし、世界の工芸品やヴィンテージスカーフには目がない。「断捨離」という言葉は、(自分や家はスッキリしていいけれど)その捨てた後の物の行方も気にかかるし、少し寂しい響きがする。人はやはり物と共に文化を育み豊かにしてきたから、物が人に与えてくれる力は大きい。個人的には、断捨離するより本当にいいものを選び大切にして、いつか自分の子供や誰かに受け継いでいってもらう方がいいなと思う。

そんな中でも、食器と花器はある程度の数が要る。心を込めて美味しい料理を作って、それで終わり、ではない。その料理の色調、テクスチャ、形、そして素材の季節に見合った器がその心を受け止めてくれる。食材への敬意を示すことを可能にしてくれる。お花も、その花が最も自然に見える、またはその魅力が一層引き出される花器に生けなければ気持ちが悪い。花自身も、自分の美しさが引き立たない花器に生けられた時、あっという間にその魅力を枯らしていくように思える。一つの器や花器だけでは、やはり対応できない。それでも、自然界の色や肌触りに近いものは、多くのものを包容する力がある。

利休の言葉、「花は野にあるように。」その真意に、暮らしの、生き方の、様々な事柄における本当の美しさへの導きがあるように思える。