Back from Japan

 
 

様々な出来事と思い出に彩られた、盛りだくさんの4月が終わろうとしています。

日本で改めての挙式を兼ねた一年ぶりの帰郷。旅の終わりの際には、静かに舞う桜吹雪が見送ってくれました。ロサンゼルスの我が家に戻ると、窓を開けた瞬間アパートメントの隣の壁を覆う無花果の葉の香りがふわっと部屋に流れてきて胸がいっぱいになったのは何故でしょうか。ちょうど一年前ここで生活をし始めた頃、同じように無花果の若い緑の独特の香りが、まだどこか落ち着かなかった私に深呼吸することを教えてくれたことを思い出します。新しい土地での春、夏、秋、そして冬を生きた私は、この一年の間にすでにカリフォルニアの風と光に沢山の思い出を結わえつけていたようです。

日本に滞在していた間は、日本の自然や造形の色彩や根本にある美しさの捉え方、また「調和」という有形・無形の芸術や型の核となる精神に触れ、改めて自分の感受性のルーツはこの国にあるのだと感じました。日本から知る美しさの表現、つまり調和の中に生きる、という一つのテーマを様々なフォームを通して表現しそれを世界と分かち合っていく、それが日本の外に生きる私に与えられたミッションであるという思いが今まで以上にはっきりと見えます。

やりたいこと、創造していきたいことが沢山ある。「こうなりたい」と先ばかりを見て生きた20代とは違って、とにかく毎日を「たっぷり」生きるように集中したこの最初の一年。そこから生まれ始めた沢山の道、再認識した自分のアイデンティティー。そして、今いる場所、生きる時間の中から湧きだすクリエティビィ。

生かす、自然を描く、合わせる、心をこめる。花を目の前にしていけるときの気持ちのプロセスに重なります。

また新しい、一年のはじまりに。

 

アパートメント隣の無花果の葉っぱは天に向かって伸び続けています。その葉っぱの形は、空に触れたいと願う人の手のように形を成していきます。

Effort To Be

 
 One morning at my yoga studio. 

One morning at my yoga studio. 

半生以上を長く保って過ごした髪を、肩まで短く切りました。あれほど長い髪にこだわっていたのに、その瞬間は驚くほどに恐れも緊張もなく過ぎて、今はうんと短くなった髪がとても心地よく。今の私らしい。4年前に染めることを辞め、すっかり元通りになった私の髪はそれも嬉しそう。

最近はファンデーションも週末以外つけなくなって(とはいえロサンゼルスの厳しい紫外線のため日焼け止めは忘れずに)、それでも今の方がいいと思える。

自分というものは常に進化し変化もしているから、自分に最も近づくための到着点とする「自分」のあり方に正解はないのでしょう。今の自分の波動やエネルギーレベル、そんなものに心を傾けて、そこに最も調和するように、の暮らしや装いといったそれらを整える。今をよく知るということ。その結果の現れが、今この瞬間の私。

やはりそれはエフォートレスではなく、エフォートがいる。今の状態、今の自分をよく知るという努力(effort)がいる。ただきちんとその声が聞けた時、それはエフォートレスに見える。自ずと生まれたように見える。

自然体であることと、何もしない、ということは違うもの。というのは花瓶に生けた花を見ているとよくわかります。花も努力しているし、花瓶に生けられている間はどんなに花として自然に見えても必死に美しさを保とうとしている。「美しくあろうとすること」それは花というものにとって生きる意味、使命でもあるのだと思います。何故なら、枯れ始めた花を花瓶から取り出そうと一度触れると、今までずっと持ちこたえていたかのように、瞬く間に花びらを落とすから。生きている間、「美しくある」という花の使命を自然に見えるようで全うしていたのだなと知る瞬間です。

ヨーガを毎日やっていると体が明らかに変わってくる。変えようとしなくても、自分の心と天と地、そして空間における本当のバランスを知ろうとする中で、体の各部位が本来あるべき場所に戻ってくる。そうなったとき、アーサナは自然に美しく、体も健康という本来皆が生まれ持った美しさを得る。その際、毎日マットの上に立とうという姿勢はひとつのエフォートだと言えるのかどうかは・・わかりませんが。

 

 

The Journey of Unknown

 

年を重ねるにつれて "unknow" こそ、喜びとなってくるのがわかります。私が好きな、スパイス、ハーブ、香り、そして旅。スパイスは調合や炒り方、そして他のものとの組み合わせで今までない経験をさせてくれます。ハーブも同じ。香りは、ボトルを開けた時にどんな物語が詰まっているのか・・その瞬間のワクワクする気持ちといったら。旅は、知らない土地や文化だけでなく、私自身について知らなかったことを最も教えてくれます。

今は、1年後自分が何をしているか分からない、それが嬉しいと思えますが、10代の頃はunknowが恐れであったから、どうにかしてunknowをknownに変えようとして悩み試行錯誤する時期だったように思えます。ダンサーになりたくて、初めての海外・オーストラリアの高校(パフォーミングアートで有名だった公立高校)へ渡った時も、それはある種、将来に対する確信を得たいという気持ちがあったから。

20代後半、社会人になり仕事をし始めて数年経った時は、銀行預金のほとんどを旅に費やしました。一人暮らし、社会人5年未満。バックパックまたは簡易スーツケースで旅をしました。決して裕福ではなかったけれど、今確信を持って言えるのは「それで良かった」ということ。

あの頃使ったお金は、何があっても消えることのない感謝や人のぬくもりに対する心の感度、そして未知と向き合う強い自信をくれました。世界の中で生きる、日本人としてのアイデンティティーもそこから芽生えました。

あの時のお金が今全て口座内にあったとしても、そのお金でそれらは決して購入できない。私はそれらの無形財産を資本にして、お金を創り出していくほうが幸せです。

何度旅をしても、旅を始める前は未知に対する恐れと小さな葛藤があります。そして、それらをこれからも感じられる私でいたい。勇気は真の優しさの真隣にあるものだと、未知に向かい合った時に感じるのです。

ちなみに、yogaも旅にそっくりだなと思います。日々、自分の中に自分の今まで知らなかった自分を見つける。そして時に恐れに向かい合い、勇気をもって乗り越える。そしてそれが、次なる未知のステージへと繋がってゆく。

旅をしなくても、人生における大事なことや自分について学べることは沢山あります。でも、行かなければ知ることのできないこと、感じることのできないことがあるということは確かです。神様が人間に飛行機を発明させてくださったのは、それを知って欲しいからだったと信じたい。今日は、昔は簡単にできなかったことが有難いことに簡単に出来てしまう。それを贅沢だと否定することなく、むしろその幸運に対する感謝を常に忘れずに旅をし続けたいし、若い人にも沢山一人旅をして欲しい。豊かな人生経験が表情や言葉に深く味わいを与えるような、それがその人の美しさとなるような、そんな生き方ができたら、皆で今よりももっと幸せな社会を創造できると思うのです。

昨日、何となく日本にいる双子の妹にメールをしたら、明日から旅に行きますと言うことでした。インド、ネパールへ発つということで。いつか、私たちの旅路が交わって何か一緒に創り出せたらいいな、そう思います。

Bon voyage.

 旅に出たら、旅先からポストカードを帰国後の自分や友人に宛てて。写真はスペイン・アンダルシアの思い出。

旅に出たら、旅先からポストカードを帰国後の自分や友人に宛てて。写真はスペイン・アンダルシアの思い出。

 

母とミモザ

 
 Mimosa Acacia

「人の嫌がることはしたらあかん」

「自分が嫌じゃないことも、もしかしたら人は嫌かもしれへん」

想像力(imagination)、という言葉を耳にすると母が小さい頃からずっと私たちに言っていた2つの言葉を思い出す。勉強しなさい、とは一度も言われたことはなかったけれど、これだけは何度も。

台所に立って人参を洗うと、また母を思い出す。いんやん(陰陽)料理を実践していた母の料理の野菜はいつも皮付き。小さい頃は、そんな皮付き人参のカレーが好きではなかった。お米も黄色がかった胚芽米で、お弁当を開けた時は白米のお弁当の友達にそれを見られるのが嫌で隠して食べていた。そんな私は今、人参もいつも皮付きで調理し、母のことを思い出しながら毎日キッチンに立つ。

ミモザ アカシアの季節がやってきて、黄色く小さな花を見るとまた母を思い出す。私がフレグランスの会社に勤めていた時も、私が帰省して香水の香りをさせると苦手そうな顔をみせていた母。それでも、「Mimosa pour Moi(私のミモザ)」という香りは母に必ず似合うと思い、5年ほど前にプレゼントした。陽だまりのような、ホロホロ小さくて可愛らしい香り。大きく歯を見せた笑顔ではなくて、小さな微笑みを感じさせる香り。使ってくれているかな。

洗濯物をたたむ時も、掃除をする時も、野菜を切る時も、「そんなやり方じゃあかんでしょう」と母の声が聞こえてくる。「はーい、ごめん」と心の中で応える。

 

ミモザの季節に。

 

 

Balance

 

光の分だけ影があるように、全てはバランス。

どこかの干ばつは、きっと、どこかの洪水のサイン。

飽食は、あの国の、そして人の心の飢えのサイン。

バランスはパーフェクトにとれるものとは限らないけれど、きっとそこに向かおうとする心と、AにBを見ることができる心の目が大切なのかな。

 

吸う息よりも、吐く息を少しだけ多めに。

 

Reflection of Sound

 

My current playlist for Yoga asana practice.

1. Grounded

2. Vyana

3. Vyana Vayu

4. Limitations

5. Farm Song

6. Blueprints

All musics by East Forest

 

最近の自宅でのヨーガプラクティスに。East Forest(いい名前ですよね)は、ノースカリフォルニア出身のアーティストで、空気の動きや光の交差、常に生まれ変わる自然の在り方を感じさせてくれる楽曲をたくさん持っていてよく聴いています。

ヨーガの他にも、夫がサーフィンをしているのを眺める際にはイヤホンをつけて、ひとりEast Forestの音楽を聴きます。すると目の前の景色が終わりのない1つの映画作品に変わります。呼吸のリズムをもった波の動きが音楽と大らかに絡み合い、光を受けた水面が音と音の間に煌めくー。音楽が与えてくれる力を再感すると同時に、自分の人生の瞬間瞬間を演出していくことの喜びに触れる休日の楽しみです。

I love music.

 

Perceived

 

このところ温かい日が続いています(というか、夏)。小さいのも大きいのも、花や木はみんな満開。日本にいた頃何ヶ月も湯たんぽで寒さに耐えてついに迎えた春とはその到来の感じ方が違いますね。それでも、その土地それぞれの四季の美しさと、そこから生まれる喜びがあって。「私はこちらが好き」と「私の好きなこちらが優れている」、混同しやすいそれぞれ異なる二つの思考・感情。それさえきちんと区別できたら、今起こっている様々な問題は少なくなるのかなと思います。対象となるものは、それ以上でもそれ以下でもない。ただ「それ」であるだけ。

呼吸との関係に似ているな、と思います。毎朝結構に厳しい山を登るのですが、いつも息が乱れる地点があります。そんな時、息が乱れても、乱れそうな呼吸にリードされるのではなく、どうにか今より呼吸を穏やかにできるように意識を先行させる。または乱れてしまってもそれを認識し、今自分が直面している状況を理解し対処を考える。急な坂は急な坂でしかない、それ以上でもなくそれ以下でもない。逆にいえば、美しいというものもない。美しさとは、心で感じ見るしかない。

冬が長い故郷・日本。冬の短いここロサンゼルス。それぞれの土地でそれぞれのバランスで春夏秋冬があるように、人生にもひとそれぞれのバランスで春夏秋冬がやってくる。その事実にリードされるのでなく、私の意識が人生をリードする。

 

すっかり春の陽気になった最近、朝光の中で目覚められる喜びと明るい夕暮れの幸せを感じつつ。

 

A New Life  ロサンゼルスから

 
 My second book; Beautiful Things ~ A New Life Together ~ 

My second book; Beautiful Things ~ A New Life Together ~ 

最後に書いた時からすっかり時が経ってしまい、もうあと2ヶ月もすると次の春。

結婚を機にカリフォルニアのロサンゼルスで全く新しい生活を始めた私は、ここにいることをとても自然に感じながら、幼いころ心に思い描いた大きな青空の下を毎日歩いています。

毎朝6時半に起床し、ラニヨン キャニオンパークへ夫と1時間ほどハイキングへ出かける。夫がシャワーを浴びて仕事へ出かける支度をする間に、新聞を取りに行って朝らしい音楽のレコードをかける。セイジを少し燃やして居間を清める。お湯を沸かしてホットレモンを用意する。2人分のグリーンジュースを作ったら、ダイニングで新聞を読みながら、今日1日の話をする。夫がコーヒーを淹れてくれたら、ランチを渡して見送る。

午前中は夕食のメニューを考えながら掃除や洗濯、植物の手入れをする。昼前にヨガマットの上で1時間ほどプラクティスをする。午後は外へ出かけて私の仕事にかかる。車に乗らない私は、どこまでも歩く。夜は夕食の後、家庭菜園のミントをちぎってきてたっぷりお茶を入れる。

日曜日の朝はそれぞれの街にファーマーズマーケットが立つので、夫と一緒に野菜と果物、あとはパンやお花を一週間分仕入れる。午後は骨董市を訪れたり、夕日を見に山か海へと行ってみる。

愛する人と、そんな普通のことができる、ルーティーンの中にある幸せを分かち合うことのできる毎日が本当に嬉しい。

こちらにきた最初の頃は、そんな幸せを受け入れることがうまくできなかった。いつも心のどこかで、幸せを受け取ったらどこかへすぐそれを寄付しなければ、そんな思いがありました。幸せの裏にある責任のようなものと静かな葛藤があった気がします。メールでもビジネスアクションでも、即時のレスポンスが良いとされる、そんな世界で忙しい毎日をずっと生きてきたからか、何かをそのまま受け入れ、心と時間をかけてお返しするということを忘れていました。手紙をもらったら、便箋を買いに行って下書きをし、返事を書いて投函した小学生の頃を思い出しました。

1日1日、瞬間瞬間に向き合いながら暮らすことのできる喜び、そしてその中で毎日新しい何かを学ぶことのできる有り難さを、どんな時も忘れないように。そして何より、愛する人がそこにただいてくれること、仕事にいったら無事帰ってきてくれる、そんな小さなことへの有難うを決して忘れないように。

この半年間考えていたことは多くあり、それはうまく書けないし、自分がちゃんと分かっていれば外に知らせなくてもそれでいいと思う。年が明けてもうすぐ春がきそうなこの頃、私の中に明確にあるのは、急がなくていいということ、つまり今という瞬間を一生懸命素直に生きるということ。常に変化する自分、周り、考えを喜んで受け入れる。その中で出会う人やものを大切に、そこから感謝の創造(他人の幸せにつながる私らしい表現・活動)をしていきたい、そんな思いです。

 

毎朝のハイキングは、私のとっての瞑想の時間。眩しく照らすカリフォルニアの朝日と照らされる植物、地面、空、そして一緒に歩いてくれる夫。一人で歩いているように思える時でも決して一人で歩いていることはない、周りとの関わり、そしてその支えの中で生きる自分を再確認する、そんな毎朝の時間をまずは大切に。

 

 

Surrender

 

「それが真に美しいものであるのなら、それは常に移り変わる」ということを、言葉ではなくその「目に見えない姿」をもって教えてくれたある大切な場所が、今月半ばで無くなるということを先日知りました。

"Surrender to what happens  as if you chose it(自らがそう選択したように、全てを心から明け渡しなさい)" 先日、ヨーガの先生が私に言いました。「surrender=明け渡す」、surrender の状態とは、受容と変化の間にあると思います。明け渡し、受け入れて、受け入れた自らの状態を観察する。たいていの場合、surrenderの状態になると、起こっている状況に対するネガティヴィティ少なくなる。とはいえ、もちろんそこに動揺があってもいいし戸惑う自分があってもいい。悩み、考える自分があってもいい。それが生きている証であり、人間として生きる一番面白い部分だと思います。そしてそれが人間として成長する変化のプロセスそのものであって。

起こる出来事を予期したり発生を防いだりすることはできなくても、それに対する自らのアプローチは全て自分でコントロールできる。

だから私は今回のすこし寂しい知らせを、両手で抱きしめる。変化するそれに、真に生きているからこそ、と美しさを見出し見送りたい。その場所に深く感謝できることに、感謝をしたい。そんな場所であったこと、そこに居た人々に伝えたいと思います。

 

In the Silence

 

あっ、風が止まった。

静かに耳をすます。何も聞こえないことに耳をすます。

完全なる静寂の瞬間。無という状態は有である。そしてやはり音は心で聞く。

 

時を生ける

 

「もう春ですね」というのが出会った人との挨拶代わりになっていたのに、あっという間に桜は葉桜へと成長し、自宅の扉の目の前を覆うジャスミンのカーテンは、ピンクのアイシャドウチップのような蕾を日に日に膨らませている。この部屋に引っ越してから、5月の風はジャスミンの香りに染まる。大好きな新緑の季節がやってくる。

とはいえ、その部屋のある東京を引っ越す。だからこの4月は会いたい人に時間をもらって会っている。写真を撮らせてもらうこともする。

今日も一人お会いした際に「時を生ける」という言葉を教えてもらった。「時をける」とはどういうことだろうか。それはまさに、唯一存在する「今」というこの瞬間を最も美しく生きることだと私は解釈する。本来、わたしたちは時を活け続けるべきなのだと思う。そして人生の最後の最後に、ひとつの作品集としてその生きた証を発行する。素晴らしい作品集は、読み継がれていく。

その晩、ヨーガのクラスに出た。緊張と弛緩。その相反する2つが同時に存在する中で生きること、それが「時をける」ということなのではないか、とアーサナに取り組む中で思った。ただ我武者羅に今を生きても、それは時をけるということではない。自然、調和、美、意識、知性、そして心を伴って、今に向き合う。そして生きている以上、そこから未来へ繋がる創造を行わなけばいけない。それが「時をける」という生き方だと思う。他の命をいただき、自分の身とし、排泄することを繰り返すだけではいけない。

当たり前だけど、花を活けることと、フラワーアレンジメントは全く違う。どちらも素晴らしく、どちらもあっていいと思う。これから、生花をもっと真面目に勉強してみたい。きっとそれは自分をけることを学ぶ生涯旅になるだろう。上京した年に古本屋で出会った、楠目ちづさんの「暮らしの中の茶花(矢来書院, 1976)」を何度も読んでは、そんな思いを強くする。 

今日は、止まない雨がジャスミンの蕾を活けていた。

 

*「生ける・活ける」こういう言葉は外国語にないので、今日のタイトルは日本語で。

 

Ever thine, Ever mine, Ever ours.

 
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Ever thine, Ever mine, Ever ours.

あなたは永遠。僕も永遠。いつまでもふたりで。

 

いつだったか、兄夫婦の結婚祝いに贈った香水瓶に刻印した言葉。ヴェートーベンがこっそり恋人に贈った言葉。

何故かふと思い出し、いい言葉だなって。言葉がダンスしていて、歌のようで。

 

 

*写真のナタラージャは舞踏の神様。踊るように生きたい。

 

My Words are Your Words

 

去年は全くと言っていいほど書くことができなかったから、今年はもう少し頑張って書くことをしてみよう、と年初に自分に約束した。書くということは、パズルの様だし、絵の具を慎重に選びながら絵を描く様でもあって、書き終わった瞬間は作品を額に入れ終わった感覚に似たものを覚える。

そして、難しいなと思う。本当に、自分の心から湧き上がるものがそこにない限り書いても虚しい気持ちになるし、いつも消してしまう。

書きっぱなしでなく、私の書いた言葉があなたの言葉になる。そういうもの書きたいと思うし、そうなることをいつも願っている。

さて今週は。

 

It Communicates

 

風の音が、少し落ち着かない。

目覚め始めた世界の音かな。

新しい季節の到来に喜びを隠せない、そんな正直で素直なところが可愛らしい、自然という生き物の音かな。嬉しくて仕方がない、そんなざわめき。言葉にできるよう、耳に刻み付ける。

今はまだピンク色の気配さえ見せない染井吉野の木が、あと一週間もしたら、わっと、ピンク一色になる。今の時期に木の根元に立つと圧倒的なエネルギーを感じるのは、地面の下で最終準備をしているから。長くて厳しい冬をじっと耐えたのは、これから始まるわずか約2週間のため。花々が咲く瞬間は、何万マイル旅した波が浜辺に打ち寄せるその一瞬のようで、心に込み上げるものがある。本当に美しいと思う。

人工的には再現不可能なその圧倒的な美という感動は、長い冬があったから。それを忘れたくない、いつもそこを想像できる人でありたい。

辛いことも、時には悲しみも、知っているほど自然も人も優しく、美しく、鮮やかになれる。それは、寄り添うこと、分かち合うことができるからだろう。

Communication(コミュニケーション)という言葉には、「伝える」という意味だけでなく、元のラテン語に「分かち合うこと」という意味がある。桜が私たちを慰めるのは、厳しい冬をじっと耐えた桜の木がそんな全ての経験をピンク色の花という作品にして表現し、私たちとコミュニケートするからだ。「冬、寒いの大変だったでしょう」と、その姿で肩を優しく撫でてくれるからだ。だから私たちは、そう言ってくれる桜を見上げ、微笑む。今年も有難う、という。私はそう信じている。

あまり知られていないけれど、桜の花は夜空の下で本当によい香りを放つ。鼻を近づけてみてほしい。あんな香りの気配がある女性になりたい。

 

*写真はセビリアの春を象徴するオレンジの花。道端にたくさん落ちていたのがもったいなくて、拾って宿に持って帰った。あまり良い写真でないけれど、思い出が詰まっている。

 

Music is What Love Sounds Like

 

" Music is what love sounds like."

ラジオのインタビューで話題のアーティストがそう話したのを、通訳の女性は「音楽とは愛というものが形を持った現れだと思います」と訳した。この言葉は、英語のままが一番意味が伝わると思うけれど、私が通訳者だったなら「音楽とは、愛の響きそのものだと思います」と訳したかもしれないな、と思う。

静かに言い放たれた言葉。とても美しい言葉だと思ったので書き留めた。

明るさ、深さ、あたたかさ、優しさ、かなしさ、切なさ。確かに素晴らしい楽曲は、愛と同じ要素でできている。

音楽ってなんだろう?人はなぜ音楽を求めるのか?音楽を愛しながらも、今まで深く考えたこともなかった。けれどその答えを、私はアーティストのこのシンプルな言葉のなかに見つけた。

 

Mémoire Olfactive

 

"風が好きです。風は香りを運び、その瞬間瞬間を人生における贈り物にしてくれるからです。風が吹くたびに、インスピレーションがクリエーションに変わります。" - 調香師 シルヴァナ カッソーリ

 

"調香とは、共通の感情を探し求めること、お互いが「あ、これは・・」と言葉を漏らす瞬間、つまり魂が出会うその場所/瞬間を探しもとめることである。" 調香師ベルトラン ドゥショフール

 

香水とは分かち合うためのものです。調香師ジャン=クロード エレナ

 

これまで、香りという仕事に関わることが出来幸せだと感じた瞬間は、心の深い部分に響いてくる、美しくて強い言葉の数々に出会えた時でした。(そしてそれらの言葉は、彼らのつくる「香る水」に正直なほど反映されている)

私は香りのスペシャリストでもジャーナリストでもなく、香水を売りたいと思っているわけでもなく、特に今後は香水に関わっていくのかもわからないし、今は予定もない。それでも、私が彼らの香りを伝える役目をいただいていた時、心に湧き上がる熱いものを感じながら、そしてあるときは夢中になって香りの話をしていた自分がいたのは、本当にただ美しいと思える、そんな言葉がその香水瓶の中に存在していたからだと思います。そこに、柔らかい原石のような美しさがあったからだと思います。物や商品ではなく、そういうことに触れていたいと思うようになり、一人で仕事をはじめ、だからこのサイトのaboutに同じようなことを記しました。

それでもやはり、「香り」というものに関わってこられたことは、自分にとって本当に幸せなことでした。何故なら、香りとは見えないものを見ようとする心そのものだと思うからです。

毎日目に見えないものを見つめることを必要とされる中で、本物とは一体何かということ、それを理屈でなく直感で感じ取ることを厳しく養ってもらったことは大きかったと思います。見えるものの方が、いくらでも加工したり装飾したり、繕うことが出来る。けれど見えないものは、そうはいかない。そこにあるもの、そこから感じるものがすべてで、何も誰も騙すことはできない。

本当に素晴らしい香りは、自然界のあり方そのものを映し出します。常に変化をし、立つ鳥後を濁さずというように、美しく静かに循環の中へと戻っていく。相手との関わり合いによって生き、活かされ、生かす。自分を一番自分に近い部分へと誘ってくれる。そして、それは何も特別なものではなく、すべての人間が根源的に持っている美への感受性に語りかける。エネルギーを与えてくれる。

 

私はやはり、白い花と黄色い花の香りが好きです。オレンジブロッサム、ジャスミン、フリージア。匂いなら、太陽の匂いが一番好きです。そこに、自分が自分に最も近くあるための道標があると思います。

今週は、確実に春の気配が空気の中にありました。ひとりでこっそり歌う鼻歌、身に纏った春の香り、それだけで駅まで15分の道のりが今日は30分でもいい、そう思えます。香りが教えてくれる事とは、美や悦びは、やはり自分で見つけ感じとっていくものである、ということだと思います。 

 

*写真は動くたびにジャスミンの髪飾りが香ったケーララの女の子。いつの日か娘ができたら、Jasmine/茉莉花と名付けたい。

 

In the Middle

 

人は最初、皆「女性」として誕生し、そこから分かれて進化を遂げていきます。だから、人生の中で本当に愛する人を見つけて一緒になる時、それは片割れをみつけたことに等しく、ひとつの生命体として新たな形で完全になる時なのでしょうか。

男女の関係以外でも、私の場合は一卵性双生児として生まれたため、もとは1つの卵であったものが何かのきっかけで分裂し、そこから2つのいのちになったと考えると、妹の存在は私の「生」に大きな影響を与えていると思います。

「ひとりが(心身ともに)調子のいい時期は、大抵の場合、もうひとりはそうでもなかったりするのが不思議」先日母がそんなことを言っていました。

それは私たちが2人で1つだから?人間を含めて世界は陰と陽のバランスで成り立っている思うと、私たちがお互いに中庸という最も穏やかな状態を保つために、2人でそんな風にバランスをとりあっているのでしょうか。

では、2人とも一緒にハッピーにはなれないのだろうかと考え始め、とはいったものの、その答えは簡単でした。

ひとりが幸せな時は、もうひとりはそれを共に喜び、自分の幸せとする。ひとりが悲しいときは、もうひとりがその悲しみを共に有し、薄めてあげるようにする。相手の悦び、痛み、そういったものを自分のものとできた時、私たちは本当の意味で中庸の状態、つまり調和の中に生きることができる。そこに、一人では生み出すことのできない種類の愛が発生するのだと思います。シーソーでバランスがとれたとき、2人とも笑顔になるように。

とはいえ双生児の場合だけでなく、家族、パートナー、友人、動物、自然、そして地球との関わり合いにおいても全く同じことであると思います。

真の結びつき、関係性、世界の平和。それはバランスが取れた状態でない限り生まれないもの。